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紅人会代表のBLOG

佐賀県佐賀市の学習塾紅人会|kojinkai代表によるブログです。受験のこと、教科のこと、学習のこと、塾の日記、代表の日々などを綴ります。

自学ノートについて。

中学生 日記 よくある学習についての質問

 自学ノートっていつからスタートしたのでしょう?私はゆとり教育世代って言われる世代の先端を走ってきた世代で、教科書にバツをつけながら学んできたのですが、私たちの世代の付近から始まったものでしょうか?それとも、もっと前からあったものでしょうか?

 

 私がその正体不明のノートを作って毎日提出せよ、と指導されたのは、中学1年生の時だったと記憶しています。「は?何すればいいの?」って超迷って、漢字を書いてみたり、計算してみたり、英単語を書いてみたり、授業ノートを写してみたり、毎日実に意味のない時間を過ごしているな・・・と思ったあたりで、一番好きだった英文の書き取りと和訳を予習として継続することになったのですが(365×3年間、うち900日は英語の予習をしました)、その当時の中学生たちはどうやってその課題を乗り切ってきたのか実に疑問でした。なぜなら、完璧な自学ノートとして紹介された人が必ずしもその教科を最も得意として、他を圧倒するほどの力を身につけていたということでもなく、ただ色合いやバランスが美しいノートであったというだけでしたし、「は?そんなの時間かかるだけで意味ないじゃん。」と自然に思うのでありました。

 

 私は「教科書のこの部分に赤線引いて」って言われても、「もう太文字で書かれてるからいいじゃん。これって塗り絵?むしろ、それがどういう意味かっていう太文字の横に書いてある文の方が大切じゃん。太文字をこれ以上目立たせたら、それ以外に目がいかなくなるから嫌だ。」と思って、鉛筆で薄く線を引くような生徒だったので、そもそも先生が言う大切って言うやつと自分の思う大切って思うやつが思いっきり乖離していると感じたのは中学生の頃がピークだったように思います(のちに、それが定義だったということを学びます、当時は”定義”とは何かということすら知りませんでしたが)。

 

 今でも自学ノートの評価は、いかに”濃密に見せるか”という点に特化しているように思います。濃密そうに書く子が必ずしもそれを身につけているかというと、そうではないのです。その子がやっているのはデザインとか、あるいは作業の単純化であり、学習では決してないということが往々にしてあります。加えて、毎日あるということは、毎日指導しなければいけないということで、個々に対応していれば莫大な時間を要するのは目に見えており、先生がその自学ノートを活用して有効に指導しているというようには到底思えず、画一的に指導されており、事実としてそれを有効に使っている生徒は実際は少ないのではないかという結論に至っています。

 

 公立中高一貫校、私立、附属では定期の自学ノートなどはなく、きっちりと指示された内容の復習を行った上で授業を成り立たせていくスタイルです。なぜ、自分で考えられもしない子どもが訳もわからず”自由な”自学をしいられ、自分で考えられる生徒がしっかり指示を受けて”制約ある”学習をしているのか?いびつにも見える指導方針に頭が混乱しそうです。

 

 そして、公立の能力の高い上位の子は、そういう濃密さと、自分にとっての必要というバランスを微妙に成り立たせ、時間対効果の高い、程よく担任の評価も受ける自学ノートを作っているように見受けられます。「どうせやるなら意味あるように」という気持ちを感じるノートだな・・・と、私は見て思いますけれど。評価される自学ノートの陰に、本当に効率的な自学ノートが存在してるように思います。

 

 もっとちゃんと身につけてもらいたい基礎があるならば明確に指示出しをして細かい演習事項にすべきだし、自学ノートを本来的な”自学ノート”として機能させたいならば、これはすごい体力のいることだと思います。

 

 自分で考えて勉強しているっていう言い方は美しいですが、機能してないなら子どもの時間の無駄遣いです。その点ははっきりと言っておかないと、中位以下の生徒の学習時間は、その能力によってかかる時間もはるかに違ってくるわけですから、課題を課した側にも責任が必ず伴うものだと私は思うのです。

 

 自学ノートは、責任の所在を曖昧にする課題の一つになりかねないと警笛を鳴らすとともに、評価の基準も見た目より実、その子がそのノートによって何を身につけられるか、一体何を考えてその課題に取り組んでいるのか、もっと考えて出して欲しいですし、意味ないと思うならもうやめて、各教科担当からしっかり課題の指示を個々に向けて投げられる選択的な課題へと昇華していって欲しい思いです。

 

「国語担当。〜〜をまとめて欲しい。

数学担当。ここの演習を徹底的にやって欲しい。

理科担当。実験を図解してまとめて欲しい。

社会担当。ここを地図帳を見て詳しくまとめて欲しい。

英語担当。文法のまとめページを写して、同ページの演習をして欲しい。」

 

いっぱい要望がある中で、やって欲しいという願望を秘めて生徒の”自主性”を待っても何も生まれないことの方が多いです。義務教育ならば、基礎を保証して欲しい。私はそう思うのですが・・・。

 

なぜなら、自学ノートなんてめんどくさくて、最もさっさと捌きたい課題の一つで、時間かかることなんてやりたくないのが普通ですからね。普通、よほど意欲なければ勉強なんてしたくないんです。この点を本質の最たるものとして残しておきたいと思います。

 

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